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ソロプロジェクト2002、2枚のアルバムの感想(前編)



 最近私はいろいろ書きたいこと(いろいろなアルバムとかライヴの感想とか)を溜め込んでいながらアップしてないのだが(なんか6割ぐらい書きかけて落ち がつけられないやつばっかり……)、とにかく目の前のものから片付けなくては。このままではこのサイトのコンテンツが墓場になってしまう……。

 そんなわけで、上野洋子の新譜2枚の感想です。これは前編です。とりあえず書いたところから載せたので、後編はどのくらいの長さになるか自分 でも分かりません。それに、長いです。


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   まず、扉をひらく

 上野洋子『Puzzle』、asterisk『*1』、2枚同時発売。
 懐には厳しいけど、なかなかこの状態は心地良い。とくに最近CDを買う数が減ってるので、ふたつも抱えて聴いてしまうとほぼエンドレスリピートで洗脳さ れ状態、音楽の海に首まで浸かって思う存分耽溺してしまえる。貧乏もたまにはいい事があるというものだ。

 しかし、8年である。よくぞここまでファンを待たせてくれたものだ。
 
 もちろんその間もいろいろやってるのは知ってたけれど、やはりそれらは“純粋なソロじゃない”ってところが、いつも凄く引っかかっていた。
 Vita Novaも『ナーサリー・チャイムス』も素晴らしかったけど、正直云っていつも少しだけ不安を持って聴いていた。    
 「これは本当に上野さんがやりたかったことなのかな」と。

 何だかそれらの作品は、凄く出来がいいのにどこか聴き手として身を任せきれないところがあるような気がしていた。私が「純粋なソロ作品」とい うことにこだわり過ぎていたのかも知れないけど。

 しかしまぁ、あと少し遅かったら、待つのが辛すぎて脱落してたかもな。良かった、間に合って。
 待って待ち焦がれて、ようやく2002年1月23日。

 それらの音は“答え”だった。シンセが刻む音のキラキラしたかけら、イリアン・パイプスやジューズ・ハープの起こす冷たい小さなつむじ風、そ してあの緻密な絹織物のようなヴォーカリーズ――つぎつぎに手の中に落ちてくるものたちに、興奮しぞくぞくしながら聴き進めていった。
 私がどうしてもそれを欲しがっていたという、受信側の理由によって、そのように受け止めてしまったのかも知れないけれど。

 今は上野洋子のこの数年間が、何故あんなにいろいろなことを重ねて、一見脈絡無いようにすら見えるものだったのか、よく分かる。こういうこと だったんだ、と腑に落ちる。
 まるで小説を読むように、話の流れの中に張られていた伏線が、あるとき一気に明らかになるように、それは見えてきた。
 そうだ、この感覚は「のれん分け」を経て、『Voices』を聴いた時の気持ちに似ている。あのとき私は、アルバムの中の“Voices”を、歌ではな く、音楽そのものとの「会話」であると表現した事がある。今度の作品は、それとはまた違う意味を持つだろう。しかし、共通するものは、またしても、音その ものが「言いたい事」を語っているという事だ。

   『Puzzle』を聴く

 『Puzzle』の『slither link』は早速うちの上野掲示板のタイトルにしてしまった。名実共にこのアルバムの代表的曲。真夏の天気雨のごとく、いきなりの清々しさ。聴く人すべて を『puzzle』の中に引っぱり込んでしまう。

 アルバムの中の音は、どれもまるでビーズ細工のようにカラフルで、きらびやか。色も組み合わせも、繋ぎ方も違う12本のネックレス。美しくて 緻密なもの、それが人の手で造られたという事実に圧倒される、ああいう感じ。密室のような息苦しさ(それは同時に心地よさでもあったけれど)を持っていた 前作には無かったものがある。その暗い部屋のカーテンを開き、大きな冷たい窓を開けて、庭の植物の匂いの混じった風を引き込んだような。

 ケルティックなリコーダーに、ハーディ・ガーディの音色が妖しい『MacMahon』、ペダル・スティールが奏でる、熱帯のゆるやかな、何も かもどうでもよくなっちゃいそうな空気そのものの『Tangram』、それから、アルバム中いちばん哀しい旋律に、エレクトリックなバックトラックが蔦の ように絡みついてゆく曲調が、忘れられなくなった『Flexagons』――笑っちゃったのは『Tower of Hanoi』。これは実は何年も前に上野さんがライヴで演っていたことのある曲だ。で、それは確か「白夜をイメージした」とか、そんな感じの説明がついて いたのだ。それが、Hanoiってあーた。ヴェトナムまで南下したんかいっ! そして曲を聴いて、ライヴで演っていた時の原形をあまり留めていないのがま た痛快すぎる。全く、やってくれるわ!
(ところで『Puzzle』の収録曲12曲のタイトルは、いろいろなパズルゲームの名前から取られているらしいという説があります。調べてみたら実際『ス リザーリンク』や『タワーオブハノイ』っていうパズルがあるるんですね〜。それを考えると、さらに仕掛けのあるユーモアだったのだと感心することしきり)
 そして実は一番気に入ってしまった『Tic Tac Toe』。いわゆるヴァルティナ風? もう、好き勝手やってる感じがたまらない。

   『*1』を聴く

 もう一方、『 *1』。「日本語の歌とインストの為のユニット」。こちらはわざわざ違うレコード会社(インディーズ)からリリースされたが、*(アスタリスク)というユ ニットの企画は5年程も前からあり、名前もその頃から決まっていたとのことだ。由来は「能書きが嫌いだから、意味のない物にしたい」ということで、この “記号”に。

 こちらの1曲目『約束の花』というのが問題作で、いわゆるモロに「上野在籍時zabadak」な曲である。作り手側もそれを狙っていたのだろ う、という事は明らかに分かる。zabadak時代からのファンへの「サービス」と言っても良いし、インタビューなどでも本人がそれを認めている。うー ん、それってどうかな、と思わないでも無いけれど。私はこの工藤順子さんの歌詞に象徴されるような世界は嫌いでは無いが、生きていく上で必要って訳でもな い、他のzabadakファンがよくフェイバリットとして挙げる遊佐未森も好きじゃないし――しかし、これは良い曲だ。始まりから終わりまで、コーラスも バックに流れる変拍子のリズム隊も、無駄なものの何一つない完全な世界だ。
 しかし、ここに収められた「日本語の歌」は、これを除くとかなり暗い内容が多いのが気になる。その為浮いているような気がしないでもない(そういえば、 他の曲はほとんどが「リアリズム」で描かれている。それが浮いている原因だろうか?)。

 他の「日本語の歌」で特に注目すべきは、『カモメの断崖、黒いリムジン』。上野洋子 sings 鈴木慶一! 思えばムーンライダーズ周辺とはzabadakのデビュー間もない頃からのおつき合いだが、歌詞を提供された事は無かったのだ。
 私はどちらも大好きなミュージシャンだが、この歌詞の世界、恐らくディープな慶一ファンには堪らないだろう。恐ろしく鬱的なロスト・ラヴソング。「自分 の身体 邪魔で投げ出したい」等のフレーズといい、慶一さんの十八番ではないか。これをもし慶一さんがセルフカヴァーしたりしたら、大人の男の哀しみが怒 濤のように聴き手に押し寄せてくる事うけあいだ。それを、我が上野洋子はさらさらと、冷ややかとすら感じられるような調子で歌う。歌の中にある、夜明けの 風景、光の美しさ、そこへ投げ出され溶けてゆく激情の行方を静かに描くように。結果、この歌は映画か短編小説のような味わいに仕上がっている。その余韻も 含め、かなりの苦味を効かせて。

 最後を締めくくる『静心』の、シンプルな輝き。インスト群の、今までの上野洋子では聴いた事のない響き。
 「ファンサービス」の影に隠れて、実は結構実験的なことをやってるような気がする。個人的には別にサービスなんて余計だと思ったのだが、結果としてこう なるならまあ、いいか。

(2002.2.7)

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